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Sohoの思い出 vol.2 by Fusako Ohta


セピア色のクロスビーストリート

1968年から1975年まで、ソーホーのクロスビー・ストリートに居を構えた。家主は、ソーホー地区に隣接しているリトル・イタリー地区の重鎮らしき人物だった。映画「ゴット・ファーザー」で有名なイタリアン・マフィアが幅を利かしていた頃からの名残りからか、リトル・イタリーでは毎年夏に道路を閉鎖して道いっぱいに食べ物やゲームなど、日本の夏祭りを豪快にしたような露店が立ち並ぶサマー・フェスティバルが開催されている。その時期が近づくとリトル・イタリーのメインとなるマルベリー通りでは、いたるところが電飾で覆い尽くされて華やかな趣でいっぱいになる。

そのリトル・イタリーから私たちの新居となるこの古いロフトビルまでは歩いて15分くらいの距離だ。 このビルにはエレベーターがあり、住民はみなそれを使っていた。そうでないと階段の上り下りはかなりしんどいからだった。ニューヨークの古い建物のエレベーターのほとんどは蛇腹式のドアにハンドルが付いていて、それを手動で操作する。操作の仕方は素人にはなかなかむずかしい。各フロアーの入り口に合わせてピタリと止めるには、些かの技術が必要だったので、どのビルにもちゃんとエレベーターを操作する人が雇われていた。このビルにもサルバドーレ“通称サリー”と呼ばれている年老いたエレベーターマンがいた。なにやら過去に傷を持っていそうな雰囲気から、"きっとボスの子分に違いない"と勝手な憶測で私たちはそう噂をしていた。

第一子となる長女を出産し産院から退院した日、赤ちゃんを抱えタクシーから降りた私たち夫婦を見て、普段無口なサリーがまるで自分の孫を迎えるかのように喜んでくれたのが、とても嬉しかった。

この少々危なげな香りのする環境に囲まれたビルの6階全部が私たちのスペースだった。二人の娘が生まれ家族の基礎が出来上がった所でもあるので特に思い出は深い。日本から夫の両親が来て出産の生活を助けてくれたことや、車が盗まれてポリスから電話が入ってビックリしたことや、独立した夫を支え始めたことなど、今でもその古いロフトビルは健在していてくれて、近くを通るたびに様々な思い出がセピア色となって頭をよぎるのだ。

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